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<名古屋大学茶道部創立の経緯>
                        
                        
名古屋大学茶道部が加藤榮一氏によりつくられ、その創部に尾関宗般宗匠が密接に関与されたことは古いクラブ員であれば誰もが漠然とは知っている。
しかしその経緯はほとんど語られ(語り継がれ)ていない。加藤氏と宗匠からの「聞き書き」をもとに、ここにその一端を記しておきたい。(2013.10.05 伊藤 稔)


尾関宗匠は、松尾流先々代不染斎宗吾宗匠のもと内弟子として住み込みで修行をする傍ら、愛知大学茶道部の指導をしていた。
そんなあるとき(昭和35年)、新入部員の中に菊里高校の卒業生がいることを知る。当時の名古屋市民にとって菊里(旧市一:女子高)は、旭(旧一中:男子校)、明和(旧県一:女子高)とならぶエリート校である。
新入部員から、同じ菊里から名大に入学した、高校時代から松尾流茶道を習っている同級生(加藤榮一氏)がいることを聞き及び、一度会って見ようということになる。

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昭和35年頃、加藤氏は名古屋駅前近くの稽古場に通っており、名大入学時に教養部で同じクラスになった山田昌敏氏もお茶を習いたいというので、一緒に稽古するようになっていた。
その後もう一人加藤隆司氏も稽古に加わる。菊里同級生の知人から尾関宗匠に会うように勧められた加藤榮一氏は、愛大の稽古を見学するため三人して出かけた。
そのとき宗匠から一度点前をしてみろといわれてしたところ、それは当代(不染斎)の点前でなく先代(半古斎)のものではなかろうかと指摘される。


これが契機で加藤氏は、尾関宗匠の指導のもと名大に茶道部をつくることを思案する。
それまで教えてもらっていた方との縁もあり苦慮するも、最終的に茶道部の立ち上げを決意。
三人で教養部各クラスの黒板に参加呼びかけの掲示をする。そのとき三人は二年生だった。呼びかけに応じ茶道部設立に参画したのは、山田昌敏・加藤隆司両氏以外に、大森和彦氏と川島明氏である。
大森氏は、実家が松尾流の職家だったこともあり松尾流なら一緒にということだった。創部翌年の宗匠初釜に五人そろって伺う。
                        
4月には杉本旭氏と水谷英樹氏が入部。翌々年には、長坂實上氏、足立久氏、上田國博氏、糠谷博正氏、星野清氏が新入部員として加わりクラブとしての体裁が整いはじめる。
特に大学院生だった長坂氏の参加は、加藤榮一氏卒業後のクラブ運営を危惧した宗匠が、当時家元で稽古をしていた氏に誘いをかけたことによる。
当初、稽古は東新町近くの誓願寺と大津橋の宗匠旧宅(楽分庵)で行い、クラブ自前の茶道具を揃えることもままならず、多くを宗匠からの借り出しで凌いだ。


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